★おいらのプロフィール2★



1ページ目からの続き〜(^^)
11.で、仕事としては、本庁の住民票関係の「親分」として仕切ってました。他の課や出先の支所の「親分」は大体50代のベテランさん。でも皆さん、仕事上の相談事はおいらを通して「立てて」くれてました。まだ28歳の「小僧」だったのですが、その期待に答えるべく昼休みも「例規(条例集)」や「通達」なんぞに目を通しておくという、結構ハードな毎日でした。
12.「オンライン化検討委員会」の一員としては、各係から選出された委員が自分の係の業務を「フローチャート」で図式化して「無理・無駄な動きや書類の流れ」がないかチェック。まだ、2年目のおいらには知らない業務もあって、先輩が「全部知ってるから委員になったんじゃないの?」とかイヤミも。(^^;でもしょうがないので頭下げて教えてもらいました。。
13.「人員が多すぎる」という問題は、労働組合の一番下の役員(職場委員)になって、組合の会議の度に「いずれ、国民の皆さんから批判がくる!その前に港区は職員を基準(自治省で住民100人:職員1人と定めてあった)まで減らそう!と主張。穏健な総評系から過激な核マル・中核派まで組合委員の猛反発をくらいました。何しろ、当時既に中小企業のおいらの家にもあったFAXを導入することすら「人員削減に繋がる!!」といって反対してた組合です。←(よって、各出先との書類のやりとりは所内便で、一日一回専任の運転手さんが車で運んでた)そんな、意見を言ってから、ドカヘル・タオルで覆面し、鉄パイプを持った5〜6人の集団から、ほぼ毎日、帰りに通用口を出るときに、にらまれ「暗い夜は気をつけるんだな〜!」ブンブン、鉄パイプを振り回して脅されました。(^^;イヤハヤわれながらその真ん中をにっこり笑って「ご苦労さんです」と通ってたんだからいい度胸でふ。←本当はちょっと怖かった(T T)
14.それで、連日連夜過激派の人たちから共産党系・総評系(現連合)まで、機会を見つけては居酒屋に飲みに行きました。朝まで討論のときもありましたが、ある日中核の人に「あんた達は、何かデモとかする度に「国民のため」とか言ってるジャン。現実問題として、役所の無駄を減らして税金の無駄を減らすことが、「国民のため」になるんじゃないの!!」といったら「確かに、その通りだ。ある面で俺たちも自分たちのセクト(派閥)を増やすために人員削減に反対してる。政府の政治家たちと変わらなかった!」と言ってくれました。その人が他の人たちも説得してくれて、最終的に労使双方で「人員削減同意書」を作ることになりました。勿論、「地方公務員法」があるので、今勤めている人を首にするということではないです。定年とかで辞める人より、新規採用者の少なくすることで、長期間かけて穏便に「人減らし」をしようというものです。
15.さて、「仕事関連」はそれで解決なのですが(ただし、組合関係から、役所内でおいらが好きになった女性に嫌がらせをさせるということを繰り返しされ、それ以後、女性と気軽に雑談も出来なくなるというトラウマになりまして、未だに未婚でふ)「業務改善」「人員削減」「仕事の仕切り」「女性からの嫌がらせ」というストレスに加え、親父が人に頼まれて1億数千万とかの借金の保証人になり、債務者が金返さずにトンズラするという事件が家族に発生! 担保に東京の家と工場(土地はその債務者の親戚から借りてたので、断りきれなかった)が入っていたため、金を貸した浦安のコンクリート屋から、親父と共同被告として訴えられることに。。 職場でこれだけストレス溜まっている上に、2ケ月に一回位のペースで東京地裁に出頭して民事裁判の被告席に座ることに(既に親父は茨城に引っ越していたため、長男のおいらが共同占有者として被告になった)しぇぇ〜。(T T)
16.裁判自体は、こちらも「債務者にだまされた」と強硬に主張したため、膠着状態。結局和議手続きになり「立退き料500万円でおいらの家族が家・工場を明け渡す」ことで2年半後に決着が着いたのですが、この間浦安方向から走ってきた労務者風のおっさんバイク(カブだった)に、横断歩道を歩行者信号青で渡ってたのに、ひき逃げされ、股関節脱臼で入院!他の通行人の人が警察に通報してくれたけど、犯人捕まらず。おそらく、コンクリ屋の従業員と思ったけど。いざって時役に立たないな警察って(#==)結局3日入院してたけど、夜中にベッドの上で騒ぎまくる同室の男の子(小1くらいかにゃ)のうるささに絶えかねて、痛み止めを貰って強引に退院!何度目かの死ぬとこ体験に。。
17.ということで、「心身ともに」ボロ雑巾のようになって、おいらの「小さな行革」は一応出来上がったものの、「もう、役所には居たくない」思いで一杯。家族もバラバラ。「立ち退き料」500万円の内、弁護士費用50万(結構良心的な弁護士だった)姉夫婦は400万を頭金に船橋に中古住宅を購入、おいらは50万貰って、千葉市にアパートを借りて、家財道具も買い、一人暮らしスタート!何しろ漫画本〜専門書まで4000冊も本があったので、2間ある部屋の一部屋は図書室に(^^;
で、平成2年1月に引っ越して、とうとう役所に通勤するのが「精神的」に耐えられなくなって、仲の良かった先輩に「辞めたい。。」と言ったら、「うん、じゃあ何とかしてみる。。」と言ってくれて(実は色々な人と議論する過程で当時の総務部長の不正を知ってしまったので、おいらが何か問題を起こしてそれを役所側が告発しない代わりに、不正も口止め、辞めるなり好きにしていいというウラがあった)
6月のある日、突然おいらの悪口・イヤミを先輩は怒涛のごとく言いました。。ちょっと、席を外して窓口のホールでタバコ吸いながら5分ほど考え、「そっか、先輩が何とかしてみるって言ったのはこういう意味か。。」席に戻ってから「ざけんじゃね〜。実質この課を切り盛りしてきたのはおいらだ。。今まで皆で散々汚いことやりやがって!!」と鉄で出来た「長期公文書保存用」のバインダーを先輩の顔面に叩きつけた。。先輩は顔面血まみれ。。他の職員に取り押さえられ、おいらは会議室へ。。その瞬間。雷が「ガラガラ〜」となってました。。それで、結局、上司が間に入って示談。「先輩の治療費5万円をおいらが負担。役所内で知りえたことは、「地方公務員法」の守秘義務を含め、役人の内部の話も(要するに不正の口止め)口外しない代わりに、傷害として告訴しない」という示談書に判をついて、辞表を受け取ってくれました。その後、「年次休暇の残ってる日数は出勤に及ばず」ということで、6月29日まで休み。30日に役所に行って正式に役所を辞めたという辞令を受け取り、職場の皆さんに「色々、お世話になりました。。」と挨拶。。冷ややかな態度をとられるかと思いきやあんなに激しい言い争いをした組合関係の人たちが「辞めちゃ、駄目だ〜。もう少し役所にいたら、総評がバックについて議員になってもらおうと思ってたのに〜!!こんなに、個人の私利私欲の薄い人こそ政治家になってもらいたいよ〜。」ワンワン、所謂「全共闘の闘士」と呼ばれたおじさんたちが、涙流して泣いてくれました。おいらも、ちょっとなみだ目になりながら、ご挨拶周りに歩いて、役所を後にしたのでした。。(T T)さよならでふ。

★平成2年6月〜11月までの失業時代★

1.とりあえずワープロは持ってたので、以前から関心のあった「企画(プランニング)」にチャレンジすることに。「公募ガイド」とかテレビの「プランニング・ゲリラ」とかで、「プロ・アマ問わず」という「商品・広告・テレビ番組・ゲームのシナリオ。。」なんかに応募しました。真夏の暑い中(エアコンない木造アパートだったので)汗ポタポタ垂らしながら、10本くらい応募しました。 2.結果は、WOWWOWの番組企画「タイフーン・ウオッチャー」(台風の発生から消滅まで、飛行機や車で、リアルタイムで現場を追いかけ続けるという番組)佳作入選。
富士通用のパソコンゲーム「ナンパ君」(東京渋谷&大阪心斎橋を選んで、女の子をナンパしまくるRPGゲーム)佳作入選賞金5000円図書券。商品化された。。
「プランニング・ゲリラ」新しい広告法「噂の達人」(バイトを雇って、グループで新商品の噂話を人ごみで会話させる→「え”〜これっていいよね〜」「かわいい〜」「何処で売ってるの〜」「あ〜こんど買いに行こう!!」とか台本を作っておいて、世間に商品の情報を噂として流す)佳作入選。。→現在はこの広告方法は「やらせで不当な広告」になります。やらんで下さい。
3.で、この間どうやって暮らしてたかというと、貯金が120万位あって、それで家賃(月6万円!)払って、食いつないでました。役所は雇用保険に入ってないので、「失業保険」なし!(^^;シビアでした。。たまたま、「猛き黄金の日々」という岩崎弥太郎の伝記漫画にはまってて、「海援隊の流れ」を汲む三菱グループに入りたくなって、地所の販売部門の子会社(本体と連結決算してる100%出資の会社なので、実質は本体と一緒)の求人に応募。。そんな、幕末の気風が今時あるわけないのに、相変わらず、「青い」でふ。
4.で、一次筆記合格の後、一週間興信所らしき人に付回され(後で三菱が素行調査を依頼したものと入社後判明。50万かかったそうな)近所のおばちゃんに「あんた、なんかやったのかい?何か興信所で聞きに来たから適当に、いいにいちゃんだ。って言っといた。不倫かい?」ブブブ( ̄m ̄)いらん誤解を招いてしまった。この頃、同じアパートの前の棟の21〜2くらいの若い主婦さん(やや、太めだけど、「ボン・キュ・ボン」の大柄グラマータイプ)が何故かおいらが気に入ったらしく、土曜日になると、ノーブラ・Tシャツ・ホットパンツの刺激的な格好で、おいらの部屋の前の道路で、ホースを長く部屋から伸ばして洗車。おいらが通りかかると「おっはよ〜」ニコニコ(^0^)と挨拶してくれ、たまにわざとらしく、ホースを持ってる手を自分の方に向けてTシャツを濡らして「きゃ!ドジしちゃった〜」。。見えますがな。。おっぱいが透けて。。(⌒0⌒)で、毎週その後外に聞こえるほどの大声で旦那と口喧嘩でふ。「うるさいわね!私が好きで見せてるのよ!!なによ。高卒のくせに、おいらさんは大学楽勝で卒業したのよ。あんたなんかより子供生む価値あるわよ!!」。。ありがたい様な、困るような。。旦那とすれちがうと、にらむし。。
5.2次人事課長面接。3次役員面接。副社長曰く「役人あがりに、民間が務まるか!」といわれ、人事課長(後で大学の先輩だったことが判明)が「どのくらい、働いてたんです?」と助け舟。「忙しい決算期は朝7時〜夜12時まで勤務しました」副社長「で、希望の部署は?」おいら「本当は販促グッズの開発とか、企画をやりたいですが、宅建持ってるとはいえ業界素人ですから、営業からやらせてください。現場を知ってから企画に取り組んでみたいです」副社長「ほ〜。役人あがりが営業ね。うん、いい度胸だ。採用!!」面接終わって、会社を出たら、廊下で人事のおいらの担当だった人とバッタリ。「多分、採用だと思いますよ。1ケ月くらいで通知行きますから。」ヒソヒソε=( ̄。 ̄)と耳打ちしてくれました。
で、11月に採用通知。「12月16日より勤務を命ずる」とかきました。。とりあえず、ギリギリ預金が尽きる前に仕事見つかったにゃ。(^^;

★M地所時代〜。またも長続きせずの巻★

1.最初は、千葉県の津田沼店に配属。結構、中途採用組の人で、同年代が多かったので、助かりましたが、「3ケ月間は試用期間」この間に「役立たず」と思われたら採用取消でふ。仕事は仲介の営業。つまり、不動産を売る人と買う人両方を探して、当時者の一方から売買価格の3%+6万円の手数料を貰う商売です。当然、入りたてのおいらは、売り手・買い手両方いません。しょうがないので、先輩が「売り」を任されている不動産に「買い手」を見つけて、営業するしかないでふ。(「物件を借りる」という)会社で、作った裏が白紙のB5版のチラシの裏に、先輩の物件の図面を縮小コピーして、それに、自分の名刺をホチキスで止めて、あっちこっちのマンションや、戸建にポスティング。電話のあった、お客のところに訪問。色々話を聞いて、売る場合は「幾らくらいなら売れるか?」買う場合は「どんな家がいいか?条件・予算」を聞き出して、会社に帰ってから、「価格査定」は取引の事例をデータ・ベースで検索。公示価格(固定資産税の算定の基礎となる価格)、路線価(相続税の算定基準となる価格)、実際に同じ地域で、幾らくらいでどの程度の不動産が売られているか(他社のチラシや住宅情報とか参考)などを考えて、安値(ここまで安ければ売れるだろうという値段)高値(売れたらラッキ〜という値段)を出して、いくらから売り出すかお客と交渉です。広告費は会社持ちなので、あまり売れない値段を売り客が提示して、下げてくれないときは「その値段では、売れる自信ありません!」と断らねばならないし、でも、こちらも売買価格の3%+6万円の手数料が儲けなので、売れる範囲なら高い方が良いわけで、この辺の兼ね合いが腕の腕の見せ所でふ。(^0^) でも、先輩のOJTは僅か売り側・買い側1回ずつ。「後は自分で工夫してな!」と突き放されました。この、「不動産仲介営業」という世界は「不動産営業で一番難しい」と言われる世界で、みんな、それぞれ「自分のノウハウ」があって、人には教えない。一匹狼的な営業の多い分野です。( ̄▽ ̄;しかも、バブル崩壊初期で、不動産の価格がどんどん下がっていくは、全然、「買い手」がみつからんは、「踏んだり、蹴ったり」でした。
2.で、ビラ配り、昼飯の相席の人に名刺渡し、電話はワンコール終わる前、プっとなった瞬間に出る。などの努力の成果が上がり、「不動産を売りたい・買いたい」お客のデーターを書き込んだ「お客様カード」も2〜3十枚溜まっていきました。その中で「有望な買い客」(もちろん、何度も訪問して、どんな物件を探しているのか?予算は?とか細かく書いてあった)のカードを先輩に取られ、先に契約されてしまいました。文句を言ったら「机に鍵をかけてないお前が悪い!」といわれてしまいました。(TT)にゃるほど、役所より民間で生き残るのは、きついもんだ。。と思いました。それからは、お客のデーターは家に持ち帰り、自分のワープロに入力。会社に客のデーターを残さず、席を外す時は、トイレでも鍵は閉めるということを、徹底しました。←これが後に生きてくる( ̄▽ ̄)